人生のRunwayを歩こう!記念日!
小柄なことが嫌でたまらない・・・コンプレックスを仕事に変えてしまった二児のママであり、モデルであり、そして美小柄プロデューサーとして活躍している廣瀬淑子さんにお話を伺ってきました!
ー美小柄プロデューサーって聞きなれない職業ですが・・・ー
そうですよね(笑)自分で作った言葉なんです。元々何か自分でやってみたいと思って日本ママ起業大学に入学しました。美小柄って造語ですが、私のコンプレックスからきています。身長が154センチ、洋服サイズは5号。痩せていて周りからもよく心配されていました。着たい服も見つからないし小柄であることがコンプレックス。でも、友人に誘われてあるファッションショーを見に行ったとき、当然モデルさんは皆、背が高くてキレイだった。だけど・・なぜモデルさんは小柄じゃだめなの?という疑問と、ならば自分でやってみちゃえばいいんじゃない?そんな風に感じたのが、美小柄プロデューサーという仕事を作ったきっかけです。
ー具体的なビジョンを持って入学したんですか?ー
ううん(笑)どうなるか、どうすればいいかわからなかった。なら動くしかないって。うん・・・。結構まわりには「それビジネスにならないでしょ?」て言われてしまった事もありましたし「利益はどうやって生まれるの?」そんなことばかり聞かれて辛い時期もありました。その時はまだ見えなくて答えられなくて「自分の心配したらどう?!」なんてイライラしてしまったこともあった(笑)
はじめてしばらくは当然「無」だったんですよね。きちんとした形になりはじめたのは、それこそここ最近。もし辛い時期に諦めて辞めてしまっていたら、今がなかった。私が続けられたのは、わずかでも私と同じようなコンプレックスを抱き悩んでいる方の声があって、家族の協力があって、そして沢山の方の協力があったからなんです。
今年5月には、フクゾーさん、キタムラさん、ミハマさんをはじめ、横浜が誇る老舗アパレル企業様にも衣装提供やご協力を頂き、美小柄ファッションショーを開き、8月9月には、赤レンガにステージを移して更にパワーアップしたファッションショーを開催することが出来ました。ふんわり何かはじめてみようかなと思っていた1、2年前では考えられなかったこと。本当にこの1年くらいでものすごいスピードで進んでいます。
当日は、フクゾー洋品店の森本社長をはじめ沢山の方にお越し頂き、朝日新聞やTVなど様々なメディアにも取り上げて頂き、少なからず「美小柄」を知って頂く機会が出来ました。
でもまだまだこれから。美小柄は「内面から放つ美しさを持った小柄女性」のこと。コンプレックスを抱えたままでは、殻に閉じこもったままでは何ら変わりません。私がコンプレックスを仕事にすることが出来たのは、様々な方の出会いと協力があり、自分を認められるようになったから。同じ悩みを抱えた人に少なからずきっと協力出来ることがあるはず!そんな風に思い、今年4月から、元宝塚の初嶺麿代さん、遠藤美絵さんの協力を頂いて、新たに「美小柄塾」という取組みをスタートさせました!
ー美小柄塾?!具体的にどんなことをするんですか?ー
私も長年ずーっと悩み続けていましたが、これだけ情報が溢れているにも関わらず小柄女性の上手なコーディネートやヘアメイク提案というのは、まだまだ十分ではありません。自分の魅せ方がわからないんですよね。ウォーキングやコーディネートのレッスン、そして内側から殻を破り自分を開放する為のミュージカルレッスンや、笑顔をつくる為の顔ヨガなど行っています。
ー塾生の方は年代にも幅がありますが、皆さんすごく活気がありますね!ー
そうなんです!遠くだと長野から高速バスに乗って通ってらっしゃる方もいて、年代は20代~50代ととても幅広いです。小柄という共通したコンプレックス、そしてもっともっと仕事やプライベートで輝きたい、人生を楽しみたい!という共通した目的があるから、皆年代も仕事も関係なく真剣に楽しみながら塾にお越しになっています。3ヶ月で1クールというカリキュラムを組んでいますが、入塾当初と卒業時では、あきらかに笑顔の輝きが違う!
ーまるでパワースポットみたいですね!ー
あ、それいい!!(笑)でも、まさにそうだと思います。私も元気をもらいますし、みんな生き生きしていますから!不定期ですが、「美小柄座談会」という皆で意見交換や情報共有をする場も設けているので、早くも第四期がまもなくスタートしますが、皆で更にいい塾にして、素敵な美小柄さんを沢山排出していきたいですね。
ーところで廣瀬さん、先程からスマホで写真や動画を撮っているのはなぜ?ー
美小柄塾開催後は、何人かに感想を言ってもらいその動画を数日中にFBやブログなどでアップしていくんです。それだけでなく、私自身様々な打ち合わせの様子やファッションなど、FBやブログを中心に常に発信をしています。やはり人の繋がりの拡散って強いですから、SNSを使わない手はないですし、情報発信の力がこれからは必要だと感じています。
ーこれからビックプロジェクトを控えてるとお聞きしましたが・・?ー
そうなんです。その名も「横浜コレクション」!今まで行ってきたファッションショーから更にバージョンアップし、今後年2回の開催を目標に、第一回目は2016年2月20日YCCで開催します。横浜コレクションはとても面白い特徴が2点あるんです。まずプロのモデルさんがメインで出演するのではなく、「一般市民参加型」であること。それから、横浜はハマトラブームが起こったようにフクゾーさんやキタムラさん、ミハマさんなど有名老舗アパレル企業様があります。横浜コレクションでは地元のファッションに身を包みランウェイを歩くんです。
アパレルだけに限らず、様々な分野で勢いある企業様もたくさんありますから、地元横浜の皆で盛り上げて、更に大きく継続的なイベントに育てたい!まだあまり情報公開できまんが、少しお話すると既に沢山の企業様のご協力、審査員には美魔女ファイナリストの浅井香葉子さん、そして横浜コレクション実行委員メンバーに勝烈庵の本多初穂さんも迎えることが決まっており、モデルさんのオーディションも進めています。ぜひ、沢山の方に来て頂きたいですね。
ー最後に、廣瀬さんの記念日を教えてくださいー
「人生のRuwayを歩こう記念日」です。これは、ずーっと周りにしつこく言い続けているんですが、誰でもシンデレラストーリーって作れる可能性を秘めているんです。でも王子様を待っていたら、きっと作れません。自ら素敵なカボチャの馬車を作って、素敵な王子様に会いたいじゃないですか。誰もが皆、人生の主役でありシンデレラです。私にとっては、美小柄の取組をはじめたことが気づきを得た大事な日だったと思います。だからこれからも、誰もがご自身のRunwayを歩けるような場所や機会を提供していきたいですね。
【廣瀬淑子さんオフィシャルサイト】
【横浜コレクション】
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【企画・編集】
「すべての庭をオーガニックに」Organic Garden記念日!
「庭を造るからには、その空間自体が更に生物層が豊かに。更に環境が良くならなければやる意味がない」そう語る、造園業ではまだまだ珍しい女社長、Q-GARDENの小島理恵さんに記念日取材してきました!早速ですが小島さんの大事な記念日教えてください。
「Organic Garden記念日!」です。
ー農学部に進学していますが、元々造園業界に興味があったんですか?ー
あまり大きな声では言えませんが・・実は信州大学農学部しか受からなくて。家族も造園に関係する職業ではなかったので、出会いは偶然でした。当時校舎のあった伊那の自然豊かな環境の中で学ぶうちに、むしろ「造園業界には就職したくない」と思っていたくらいで。
ー独立を考えたきっかけって何かあったんですか?ー
大学卒業後、造園関係の会社に就職して営業や空間デザイン的な領域まで行っていました。今って男女雇用機会均等法じゃないですか。でも当時は体制が古くて上司に「結婚するなら1年以上前に報告してね」と言われてしまった。そこから、なんとなく独立することは常に頭にあって。やりたいことやるなら、自分でやるしかない。みたいなところからです。
ー造園業といっても幅広いですが、小島さんの主な分野教えてくださいー
お庭の設計・施工・管理です。中でも植物の管理、竣工後のケアに力を入れています。お庭って、造ってからがスタートなんですよね。どれだけ綺麗に造っても、その後維持が出来なければ意味がなくなってしまう。
ー確かに・・生活スタイルによって、お手入れをする環境も違いますよねー
そうなんです。例えば、子育てやお仕事をしていて手入れをする時間が限られている方と、お庭が大好きでそのために時間も使える方であれば、同じ敷地でも植える植物の種類や植え方を、その方にあわせて組み合わせなければ一時で終わってしまう。だからまずはお客様のご要望と、生活スタイルにしっかり耳を傾けることが実はとても大事なんです。
ーううん、なるほど!実際、どんなお客様とのお付き合いが多いんですか?ー
一般のご家庭の方が多いですが、星の王子様ミュージアムのお庭やミッドタウンのボタニカも私達で手がけています。今日もボタニカでレタスなどを植えてきたんですけど(笑)現状を維持すると言うよりは、更に良くすることが大事なので、ボタニカには最盛期には週1回スタッフを派遣して植物の状態をチェックしたり、花がら摘みをするなどの作業をしています。今年からはマンションの緑地管理のお仕事もはじめました。
ーマンションですか?何か時代の流れや兆しがあるんでしょうか?ー
そうですね。今、グリーンが豊かな方が資産価値が上がるじゃないですか。結構住人の方の関心が集まってきていて、例えば昔のサツキを植えたまんまできちゃったけども、おしゃれに変えたい。とか。配管など設備を変えるとなると、大きなお金がかかっちゃいますけど、植物はそれほどはかからずに、イメージをガラッと変えられるんですよね。うちだと、皆さんと一緒に参加してもらいながら手入れをしたりすることなども出来るので、「住民参加型」で、みんなで緑を増やしていこうていうスタイルも可能です。
ー偏見かもしれないんですが、職人さんて黙々と自分の仕事をしているイメージがあったので、触れ合いながら作っていくスタイルは珍しい気がしますー
そうかも。職人さんって知識も経験も豊富で素晴らしい。でもコミュニケーションは苦手な傾向があるんですよね。先程のお客様の声に耳を傾けることもそうですが、そここそが私達の得意なところなんです。これからのガーデンは、「職人が造る」ではなくて「一緒に造る」「手を入れ続ける」ではないかなと。出来る限り化学農薬・化学肥料を使わずにオーガニックに拘り、一般の方に向けたブログや出版、商品プロデュースをする、お庭作りのワークショップを開くのもそういった理由が隠れています。
ーお客様の話に耳を傾けるって具体的に、どのようなことに気を使っているんでしょうか?ー
その方の生活スタイルを把握して、よき相談相手になることかな。例えば、主婦の方でいつも台所にたっている。その目線の先にある窓は気になるからカーテンを閉めてしまっている。ちょっとしたことでも、その人の生活スタイルによって気になっている箇所などが変わってきて、植物の在り方も変わる。だから、まずはお客様が要望だけでなくネガティブな部分も打ち明けやすくするために、「話しやすい」空気を作って相談相手になることがすごく大事だと思いますね。この業界は職人の世界ですから、みんな聞けば親切に教えてくれますが、なかなか自らコミュニケーションをとることは苦手な部分です。よく「造園業界は、最近仕事減ってきた」なんて声を聞きますが、それは違うと思う。時代にあわせて私たちも変わらないと。それが今は「一緒に造っていく」ということも、そういうことの一部かもしれないですね。
ー小島さん、造園業の在り方だけでなく、新たな働き方も提案していますよねー
そうなんです。今、一緒に働いてくれているスタッフのほとんどがフリーランスの方です。古い言い方で言えば「一人親方」。それぞれ自分のお客様もありながら、Q-GARDENの仕事をしてくれている。男性も女性もそれぞれが自分の働き方をデザインしているんです。もうトップダウンじゃないですよね。これからは「個」の時代だと思いますので、こういった働き方があってもいいし、時代にあっているなと。もちろん、みんなプロという条件は大前提ですが(笑)
ー新しい!ただ、働く方も個が前面に出る、身ひとつって言うのは覚悟がいりますし、経営者としても導入するのはとても勇気がいる働き方だと思いますが・・ー
そうですね。実は、横浜市は女性の起業や働き方に対してとても積極的です。私自身、横浜女性起業家スクエアのメンバーなんですが、様々な経営者や志高い方と交流すると、これからは男性だけでなく、女性も働き続けていく時代じゃないかなと。でもそうなるには、従来の会社に依存する働き方では難しいかなと。女性がしっかり稼げることはもちろん、結婚や出産で「仕事をセーブする」ではなく、個々の生活スタイルにあわせながら、新たな働き方を提案し女性の持つ器用さやポテンシャルが最大限発揮ができる形が作れればなあ。と思い、この働き方を導入しています。小さな子供がいたりして、フルタイムで働くことが難しい人でも「ガーデンの仕事がしたい!」という思いのある人には、できる限り、働ける場を提供したい。そんな思いもあります。
ー個で働き方をデザインするのは魅力的ですが、管理するのがとても大変そうですー
そう、個が強くなると管理が色々大変。例えば、実務的なことをあげると・・・皆様々な現場で作業を行っているので、それぞれの作業進捗を把握することが必要なんですが、従来のように紙で書いたり、電話での報告にすると、それだけで時間がかかりますし、電話だとタイミング悪く繋がらずに結果把握できない。なんてことがありました。特にご結婚されていたり、お子様がいらっしゃるとその時間を確保すること自体もったいないじゃないですか。ならば帰宅途中にスマホでできないか。と思い作業進捗もこのように、すべてグーグルのシステムを使ってクラウドで管理をしています。
ーうーん!常に新しいことに挑戦しているんですね!ー
そうかも、時代は変化するもんね(笑)でも変わらないものもありますよ。例えば、この道具。もう10年くらいこの4点セットをいつも腰に身につけて作業しています。高価なものも沢山試しましたが、結局普通にホームセンターで買える道具が一番使いやすかった。どれも1000円~5000円くらいでお手軽なんですよ。そして、造園業への信念というか想いは変わらないですね。
ーぜひ、仕事に対する想い、教えてくださいー
「すべての庭をオーガニックに」庭を造るからには、更にいい環境を。その空間自体が更に生物層が豊かに、更に環境が良くなる。そんな仕事をしていきたいですね。
ー小島さんにとっての、記念日とは?ー
うーん、記念日って難しいよね。人間、ドラマみたいに「こうなりたい」て具体的な夢があって形になるもんでもないじゃないですか。ワクワクすることなんてほんと少ない(笑)大変、辛い、逃げたいことばっかりなんだけど、失敗をたくさん重ねてきながら色々なことを挑戦してきたら自然と繋がってきた感じ。今日取材で使わせて頂いているBADAI BASEも、2015年10月にOPENしたばっかりなんですが、ご縁があってこちらのお庭をすべて設計させて頂きました。記念日ってすぐにピンとはこなかったんだけど、振り返ると、起業をしていなければ今出会ったすべてのことはきっとなかったかなと思います。私にとってこの記念日は、はじまりの日なのかな。
ー長時間、ありがとうございました!終始、飾らずに自然体。正直で行動力がある。造園業の在り方や、働き方に疑問を持ち、自らが挑戦することで一つの形を提案している。最高に格好良く、刺激をたくさんもらいました!ー
【Q-GARDEN】
【小島さん庭設計!BADAI BASE】
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【YOKOHAMA ANNIVERSARI企画・編集】
「INDEPENDENCE DAY 平成22年2月22日」記念日!
2011年横浜トリエンナーレ公式グッズにも選ばれスタートした「横濱帆布鞄」。今回はその仕掛け人であるU・S・M・Cの代表 鈴木幸生さんに記念日取材してきました!
ー鈴木さんの記念日、教えてくださいー
会社設立日の、「INDEPENDENCE DAY 平成22年2月22日」記念日です。
ーゾロ目ですね(笑)会社設立したのは、意外と最近なんですね。何か理由があったんですか?ー
元々、雑貨全般を扱うデザイン会社で、マーケティングを26年やっていました。今でも何かに導かれたのかな・・と不思議な感覚なんですけど、50歳になる夏「何か自分でやりたい」とふと思ったんです。お世話になっていた会社に骨を埋めるつもりでいたのにね。それで9月には、社長に独立の意思を伝えていました。
ー独立して、「やること」は決めていたんですか?ー
ううん。具体的には決まっていなかった。でも僕がやってきたことの延長だからアパレル関係で「モノ作り」かなと。勤めていた会社は大きなロットを動かしていたけども、それは組織があって仕組みがあって成り立っている。それを僕個人が同じ土俵でやろうとしても勝てるわけがない。だから僕が出来ることは、「質の追求」かなと。
横浜に住んで20年になりますが、僕が提案するモノ作りで、「カッコイイ」が揃っている横浜を盛り上げられないかなと思いました。そこでそもそも「横浜の産品やブランドって何があるんだろう」と歴史も含め調べました。歴史館なんかも行きましたよ。でもね、意外と横浜には、地域を代表するようなブランドがなかった。だから「モノ」として残る横浜ならではの横浜ブランドを作ろうと思ったんです。【横濱帆布鞄】という名前も覚えやすいでしょう?
ー横浜ブランド。確かになかなかないかもしれません。横濱帆布鞄の代表的なロゴ【045】とは?ー
横浜の市外局番です。アメリカで結構こうやって番号をモチーフにするデザインがあるんだけど、ブランド名どうしようかなと悩んでたら娘が「045ってどう?」ていいアイデアくれたんです(笑)。
あ、これなんかもそう。鞄がメインだけども、実はアロハシャツもある(笑)ハワイには「ヨコハマベイ」ていう正真正銘、横浜という地域名が付いたビーチがあるんですよ。アロハシャツは日本人移民が着物を開襟シャツにリメイクして着ていたのが起源だから、横浜捺染の手拭いでアロハシャツを製作しました。
ーお洒落!ところで、海上自衛隊の船などにも使われる帆布を使用しているそうですが、なぜあえてこの素材を選んだんでしょうか?ー
悩みました。実は、この生地は海上で使われるくらいだからとても頑丈で耐久性に優れているのですが、難点は生地が硬すぎて、バッグなどの立体物に加工することが難しいのです。だからトライした方は過去にたくさんいたらしいんですが、商品化した人はいなかった。
ー成功した人がいないのに、なぜ挑戦したんでしょうー
やっぱりクリエイター魂が疼くというか(笑)やってやろう。みたいな火がついたのもあるし、横浜といったら誰もが持つイメージのひとつは「港町」だと思う。だから港のイメージにピッタリな素材を使いたかったし、僕は大好きな横浜を盛り上げたかったから、面白い生地を作っている地域の企業を探しました。「森野帆布船具工業所」さんが作っているオリジナルの帆布が海上自衛隊の艦船でも使われている生地だったんですよね。もう、これを使うしかない!て思ったんです。
ー軽くてしっかりした生地ですね。鞄ブランドはたくさんありますが、横濱帆布鞄はほかにどんな特徴があるんでしょうか。ー
そうですね。シンプルな中に「色気と味」がある。これが僕達の作る横濱帆布鞄です。
ー深い・・。鈴木さんの提案する鞄は、デザインも長く使えるような、それこそ年代を選ばないようなものが多い気がします。ー
ありがとうございます。デザインは基本的に僕が考えていますが、このリュックなんかは、僕がまだ20代の頃に買った今でも大事に持っているアメリカのブランドのものからインスピレーションを得て作ったんですよ。横濱帆布鞄も長く、大事にしてもらえるブランドにしていきたい。
ーなるほど・・ブランドが誕生して5年ですが、ブランド確立をするために大事にしていることってありますか?ー
いい物を作ることは当然で、物を作るのはお金があれば出来ます。大事なことは色々あるけども、「どこの誰にどんなモノを使ってもらうのか」というターゲティングを明確にしていくことが、絶対的に重要です。これってみんな出来ていそうでターゲットを定めるのは勇気がいるから出来ていないことが多い。
ー横濱帆布鞄のターゲットってどんな方達なんでしょう?ー
理想は僕のような50代前後の方々に、日常的に使って欲しい。色んなモノを見て使ってきた経験のあるモノ知りな方々が、最後に横濱帆布鞄を知って辿り着いてくれてファンになってくれた。というのが理想のあるべき姿ですね。(と思うけども(笑))やっぱり横浜に住む、働く人達に使って欲しい。
それに、ミリタリースペックって究極のアウトドアスペックなのです。過酷な環境のなかでも使える・機能する、という事を考案し製作しているので、鞄を製作するときにミリタリー・モノの仕様や裁縫の仕方など参考にして取り入れています。モノ知りの方々は、そんな細部の拘りも解って日常的に遊びでも仕事でも使ってくださると思います。
ーシンプルな分、様々なシチュエーションで使えそう!それに、045ってあるから、「横浜」の宣伝にもなりますね(笑)ー
そうなんですよね、歩く看板的な感じかもしれないですね(笑)体感みたいなものって大事。だからカタログなんかも小さな仕掛けがあるんですよ。見てください、生地を貼ったんですよ。珍しいでしょう?
写真で見たって、質感とか色合いって実際のところわからないじゃないですか。「こんなはずじゃなかった」なんてガッカリしてほしくないし、だから手間はかかるけど(笑)邪魔にならない手のひらサイズにして、生地を貼り付けて「体験出来るカタログ」にしました。
ー細かいところまで、気配りとお洒落が溢れていますが、鈴木さんが今後取り組んでいきたいことはありますか?ー
まずは、横浜ブランドとして「横濱帆布鞄」をしっかり浸透させること。そして同じ横浜の企業さんとコラボして新しい商品を開発したり提案していきたい。
あとは・・やっぱり僕は「モノ作り」が好きだし、素晴らしいことだと思う。だからこの面白さを、一般の人にも広く知ってもらう活動をしていきたいですね。不定期ですが、実際に鞄を作るワークショップも開催しています。
ー最高のモノ作りを経験できる場があるなんて素敵ですね。今日は、長時間ありがとうございました。最後に鈴木さんにとっての記念日とは?ー
この会社を作ったのは、何かに導かれている感じがするんですよね。お世話になった会社に骨を埋めるつもりだったのに、突然「やってみたい」と思い体が勝手に動いていたんですから。横浜に住んで20年、50歳の節目、そして横浜という名をつけ、横浜の企業の素材を使って作ったブランド。「横浜といえば横濱帆布鞄だよね」という横浜を代表するブランドに育て、地域を皆で盛り上げていきたい。大事な私の独立記念日です。
【横濱帆布鞄】
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【YOKOHAMA ANNIVERSARY フェイスブック】
【企画・編集】
原生林で安全な食器を!「横浜に移転した記念日」!
原生林を活用し、本当に安全で安心出来る食器作りを行っているTOMATO BATAKEの田中秀樹さんに記念日取材してきました!
ー早速ですが、田中さんの記念日を教えてくださいー
「横浜に移転した記念日!2010年5月1日」です。
ー田中さんは、原生林を活用した食器作りをしていますが、もともと横浜で展開し始めたんですか?ー
いえ、実は違うんです。もともと最後の資格保有者と言われている箱根寄木細工の技術を持った父が、小田原市を中心に「本当に体に優しい食器作り」をしていたんです。僕自身は稼ぎたかったし華やかな世界への憧れもありましたから、当時、商社からコンサルティングファームに在籍し、色々な企業を支援する仕事をしていました。
ーなぜ安泰な職を辞めて、お父様の会社を継ごうと方向転換したんでしょうかー
ね(笑)。「父親の会社だから」では全くないんですよ。正直、父の世界に対して斜めに見ていた部分がありました。でも結婚がきまって、中国に工場を持っていた父の元へ挨拶に行ったんですね。そのとき初めて父の仕事を見たんです。コンサルとして多種の企業を見てきましたが、「心が震える」企業に出会ったのは、父の会社が初めてで、尚且僕のやってきた若輩コンサルでの経験や知識が役にたつと確信しました。
ー心が震える企業、それがお父様の会社だった。とは何か運命的なものを感じますねー
僕も思います。父のやっていた食器作りは、中国にある原生林を使った全く人の手が入っていない安全な食器作りでした。例えば「割り箸」。とても馴染みあると思いますが、あれも綺麗な色を出したり、長持ちするように幾つかの化学薬品を使っているんですよ。自ら化学薬品を食べているようなものです。
TOMATO BATAKEの食器は素材から塗装まで、中国の原生林を使っています。原生林がある場所と言ったら山奥ですから、仕事があまりないような場所です。そこに工場を作ることで地元の雇用を生むことにも繋がっていました。
そして何よりも父の「体に優しい、家族に安心して使ってもらえる食器」作りへのこだわりは揺るぎないものがありました。仕入れがかかろうが、国内ではまだやったことがない技術だろうが挑戦をし続けていたんですよ。
ー原生林を求めて中国にまで行き、なぜ、そこまで安心して使える食器作りに拘っていたんでしょうかー
母がガンになり、病院の治療だけではなく「食生活」で改善したことがきっかけです。抗生物質の治療をしても副作用が酷くて・・それでイチかバチかで食生活の見直しを徹底的に行ってみようと挑戦したんです。そしたらガンがどんどん小さくなっていって、父にとっては衝撃だった。改善した事実が目の前で起こったんです。だから食だけでなく、口に入る食器の安全に重要性を感じて、自分の家族に安心して使ってもらえる食器を作りたい。という挑戦がはじまったんですよね。
ーもともとは、「自分の家族に安心して使ってもらえる安全な食器造り」がスタートだったんですねー
そうです。今でもこの目的は変わっていません。むしろこの目的だけで運営しています。よく中国に工場があると言うと、「安く済むからですか」なんてことを言われますけど、とんでもない。むしろお金がかかってしょうがない(笑)
人の手が入っていない原生林は国内ではなかなかありません。ましてや商用利用をするとなると尚更。ただただ、安全な素材を求めていたら中国に行き着いただけなんです。一般に知れ渡っている中国のイメージも嘘ではないですから、否定はしません。でも、一生懸命真面目に生きて、仕事をする人もたくさんいるんですよ。従業員が皆そうですから。
ー田中さんは職人の経験はあったんですか?ー
それがないんですよ。僕は作れないんです。だから、名刺にも「営業・販促チーム」って書いてるでしょ?(笑)
ーほんとだ!親子で役割が違うんですね。ー
そうなんです。もちろんアイデアはたくさん出しますが具現化するのは父であり、一緒に働いてくれている職人達です。
そして父はザ・職人です。TOMATO BATAKEの食器は国内外を見ても類を見ない品質、安全性を誇っていますが、聞いたことないでしょう?原生林を使った食器だなんて。それもこれも、職人気質の父が、家族のために追求し続けたから出来た。逆に家族のためではなかったら、仮にはじめから商用目的だったら生まれなかったかもしれない。
ー田中さんの、TOMATO BATAKEでの役割、使命を教えてくださいー
僕の役割は「マネジメント」。そして「安全なモノを低価格」で提供すること。いい物があっても、それだけじゃ価値につながらない。「いい商品・サービス」×「質のいい伝える技術」が出来てはじめて「価値」が生まれるんじゃないかな。
ー「伝える技術」ですか。小売店だけでなく産婦人科などにも卸していますけども、どうやって繋がりを作る情報発信を行ったんですか?ー
5年前くらいになりますけど、はじめは苛酷でしたよ~!パンフレットを車に積んで全国をまわりました。一件一件訪問してね。でも失敗ばかりでした。それで行き着いたのが「食器をメインで扱っていない自然食品屋さん」だったんです。
TOMATO BATAKEというオリジナルブランドとしてはまだ駆け出しにも関わらず、僕等のやっている仕事を認めてくれ応援してくれた。だから今でも新商品が出たりテレビに取り上げられることがあると、文字通り手を取り合ってというか、自らの事のように喜んで頂けるんですよ。そういう皆様がTOMATO BATAKEを加速させてくれたんだと思います。
それから、バイヤーではなくメディア関連の広報の方にも連絡をしました。「商品買ってください」ではなくて、「記事にしなくてもいい。でも他にはないとてもいい取組だから、ぜひ知ってほしい」ってね。モノには絶対の自信がありましたから、知ってさえもらえればきっと何か発信してもらえるチャンスができるかもしれないと。それで最近ではNHKさんや様々な雑誌に取り上げていただけるまでになりました。今こそどんどん影響力ある媒体や人に公開する時代だと思います。
ー今回、YOKOHAMA ANNIVERSARYの取材を受けてくださったのも理由があるとかー
そうです。すごく面白いと思ったし「エリア」という尺度はこれから必要な視点だと思ったんですよね。商品を購入する。という視点だけで言えばネットショップを強化したり、販売店になって頂ける企業の皆様を募集したり方法はあります。でも、ネットで便利になった今の時代、特に弊社では意外とエリア軸ってないですし、横浜のほかの企業さんと繋がれることってないんです。WEBが普及してますからビジネスの場は国内にとどまらないかもしれないけど、もともとは横軸があって地域で助け合って成り立っていたはずです。
やっぱり身近な人とつながって、何かの形で横浜の企業同士が繋がってみんなでそれぞれ応援出来たら地域活性化にも繋がるし、僕等は食器を作っていますから「横浜ブランド」として全国、世界にも発信していけると思います。だからYOKOHAMA ANNIVERSARYはとても面白い企画だと思いました。記事読んで僕も刺激受けましたよ(笑)もっと地域に根ざしたいですね。
ーありがとうございます。地域に根ざすために必要なことってありますか?ー
うーん。根ざすというのは、経営の軸があるってことだと思うんです。素晴らしいモノ作りを続ける経営と、潰さない経営のバランスも必要ですね。一見上手くいっているように見えるかもしれませんが、実は、売上は今落ち着いています。5年経った今、継続するための課題にぶつかっているんです。
ーどんな課題があるんでしょうか?ー
いいモノを作れば、お客様は長く使ってくれる。そうすると、一回購入するとしばらく購入機会が無いんです。継続性がなかなかない。それでもまだ、全体の市場の数%にも広められていないと思うのでまだまだ可能性は、国内だけでも十分あると思うんですが、これからはただ「いい食器なんだよ」という質を提示するだけでなく、使うシチュエーションの提案や、それからお客様からもご要望の多い「GIFT」需要を強化して裾野を広げていく必要があります。これからは企画力と行動力も問われるのかも。そして経営の軸を複数で固めていきたいですね。経営ってそれの繰り返しかなと思っています。
ー田中さんの記念日は横浜に移転した日。ですが、もともとは小田原ですよね。移転したのは、地域に根ざすことや、情報発信などにも何か関連しているんでしょうか?ー
はい。たまたまこの場所が借りられたということもありますけども、横浜は、全国誰もが知っていますし、海外の方も知っています。そして企業が数多く集まり、当然たくさんの人が集まる出会いがある場所です。モノを知れるスピードが格段に違いますし、人との繋がれるスピードと量も違い尚且アクセスがいい。もともと箱根細工(正式名称:小田原漆器)からスタートしていたというのもあって、神奈川からは出たくなかったから(笑)そこで本格的にTOMATO BATAKEを加速させるために、横浜を選んだわけです。
大きく聞こえちゃうかもしれませんが、仕事ってどんな仕事も日本の明日を作ることかもしれない。必要とされることの対価は売上です。はじめは、上手くいかないですし、マイナスが出ます。僕もはじめは泥臭い動きをしていました。父も売上も出ないし誰も挑戦したことないことに、信じて家族のためにやり続けた。だから今がある。信じてまずは動いてそれを継続する。苦しくても。そうすればきっと形になる。そして売上へとつながっていくのかな。上手く言えないですけど。そのためには、絶対的に情報公開や繋がりが大事だと身をもって体験してきました。
ー長時間に渡り、ありがとうございました。最後に田中さんにとっての記念日とは?ー
そうですね、横浜に活動拠点を移したことで、格段に入ってくる情報量や動きやすさなどが変わりました。TOMATO BATAKEが加速しはじめた場所なので、間違いなく僕にとって、TOMATO BATAKEにとっては第二の創業記念日と言ってもいいかもしれない。それくらいターニングポイントになった日です。僕らがやっているこの仕事は、自信を持っていい物だと胸を張って言えます。だからこそ、経営の基盤を更に強くし、今後は未来へ引き継ぐ形を作っていきたいですね。
【TOMATO BATAKE WEB】
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【YOKOHAMA ANNIVERSARY FB】
【企画・編集】
3月15日HUG.CAFE open記念日!
妙蓮寺駅近く、竹林を潜り抜けると忽然と現れる古民家カフェ。そこは地域の元気な「母めシスターズ」が切り盛りする癒しとパワーが溢れるカフェでした!今回は仕掛け人である、株式会社HUG 代表 酒井洋輔さんに記念日取材してきました♪
ー早速ですが記念日教えてくださいー
3月15日 HUG.CAFE open記念日です。
ーどんな記念日なんですか?ー
HUGカフェをopenした日です。元々、不動産建築業の会社で働いていますが、新たな事業としてはじめました。
ー「不動産はあまりやりたくない仕事」だったとか。だから新事業はじめたんでしょうか?ー
違います!(笑)今は不動産建築業はとても素晴らしく大好きな仕事です。でも確かに、働く前はイメージが悪くあまりやりたくない仕事でした。というのも、父がとても真面目な人で、子供ながらに仕事が大変そうに見えたのと、不動産業界は怖いというイメージがあったからです。それは私が誤解していた部分も多々あったからなんですけど、当時はそんな印象を持っていました。
それに当時の僕自身のやり方も間違っていました。不動産建築業界に入ったのは25、6歳の頃で、当時は不動産業界特有の「営業は押しが強くないとダメだ」という営業方針を真に受けて「性格的に押しの営業が出来ない自分には向かない業界なのでは?!」と本気で悩んでいました。
そんな時期が30歳前後まで続いて、精神的にどん底まで追い込まれて、不動産建築業界を本気で辞めようか悩んだ時に、考え方を変えて「押しの営業は出来なくても、お客様の声に真摯に対応するスタイルなら自分にも出来る」「お客様が喜んでくれる面白い仕事をしよう」と思うようになりました。
ー酒井さんのやれること、面白い仕事ってどんな事だったんでしょうか?ー
最近だと、おばあちゃんコンシェルジュというシェアハウス。僕の仕事は「こんなのあったらいいな」から生まれることが多いかもしれません。おばあちゃんコンシェルジュもそうです。僕自身が1人暮らしの時、帰りが遅く家に帰ってから炊事洗濯するのが大変で、「誰か代わりにやってくれたら助かるなあ・・」と考えて、ふと思いついたんです。
こんな願いを叶えてくれるのは「おばあちゃん」じゃないかって!みんなから愛されるおばあちゃんが、シェアハウスで家事をやってくれたらとてもいいだろうな、と。
ー面白い!しかもおばあちゃん達は、シルバー人材センターに紹介してもらってるんですよね?ー
そうなんです。今は年配でも元気で働きたい方がたくさんいますしね。おばあちゃん達が今までやってきた主婦業を活かして働ける場につながればいいなと思っています。
他にもやってみたいことは色々あるんですが、女性達がいつも家で行っている家事を活かして、ホッと出来る場所を作ったり、なごむ場所が増えていけばいいなと思っています。そういう女性らしさを活かした女性の活躍の場を作るというのは、今後も取り組んでいきたいです。これはHUGカフェにも通じます。
ー素敵ですね。「女性」の働き方を考える背景には何かあったんですか?ー
最近の政治を見ていて「女性も男性と同じような仕事をしてGDPを増やして・・」という方向に、明るい未来が見えなかったんですよね。もちろん女性が男性と同じようにパワフルに働くのもとても素敵だとおもうんですが、女性には男性が持っていない「母性」や「癒し」を活かせる仕事があったら、未来がもっと楽しくなるように感じたんです。地域で女性らしさを活かして輝く仕事をするという選択肢があってもいいなと。
ーそれでHUGカフェが誕生したんですねー
そうです。長年お付き合いさせて頂いた地主さんがお持ちの古民家があり、地主さんにも快諾して頂けたので、カフェをオープン出来ることになりました。お店をせっかくやるなら「からだにやさしい子供も安心出来るメニューが出せたらいいなあ」「地域の主婦や女性が働いてくれたら地域も元気になっていいなあ」「落ち着いてついつい長居出来る空間がいいなあ」そんな「あったらいいな」が集まったカフェです(笑)
料理は「さしすせそ」の調味料のみで味付けする「母めし」を提唱している東京国立「やまもりカフェ」の大久保さんにコンサルでご協力頂き、素材も調味料も無添加ですべて手作りの一汁三菜を提供しています。
通称「母めシスターズ」と呼んでいるスタッフ達と、メニュー開発やお店を楽しくすることを日々考えて実践しているので、どんどん楽しいカフェになってきていると思います。是非、HUGカフェで提供する「母めし」をご家庭でも実践していただけたら嬉しいです。「家でご飯を炊いて、みんなで食卓を囲む」という事の大切さを広めていきたいんです。
ーそうなんですね。そこまでこだわると、究極は・・野菜もHUGで作って・・という「自給自足」を目指すんでしょうかー
いえ、それはあまり考えていません。畑も面白そうだなと興味はありますが、実は横浜には農家さんが沢山いらっしゃるので、その地元の農家さん達から美味しいものを仕入れれば、そこでまたお金が流通してビジネスとしてその方達や、地域が元気になると思うんです。いい物や面白い取組をしている方達と繋がって、一緒に活性化していきたいんです。
ーそれにしても、キッチンから時折笑い声が聞こえますが「母めシスターズ」とってもフレンドリーで底抜けに明るいですよね!ー
でしょう!ほんと、楽しそうなんです(笑)。下は平成生まれから上は70代までという、幅広い世代の交流があるのが要因かもしれないですね。
ー生き生きと働く、母めシスターズ、すごく輝いていてハッピーになります。ー
ありがとうございます。きっと彼女達の子供にもいいことなんだろうと思います。自分の働く姿を見せられるっていいなと。子育て中のママさんも働いてくれているので学校が終わると、お母さんの仕事が終わるまで、お店の端っこで遊びながら待っていたりすることがあるんですけど、きっと子供って素直だから感じると思うんです。
家で見るお母さんとは別に、調理をする姿、一緒に働くスタッフと時には真剣な顔で意見を交わす姿、お客様と楽しく話をする姿・・これって家では見られない。社会の中で輝くお母さんを見られるんです。きっと感覚的にお母さんの働く姿はカッコイイ!て感じているんじゃないかな。
ーまるで実家のようですがHUGカフェ、一言で言うとどんな場所でありたいですか?ー
そうですね、まさに「実家」のようですね(笑)実際お店の名前を「ZIKKA」にしようという意見が出たこともありましたし・・(笑)でもこの地域に住む色んな世代の方達が来れる場所にしたいと思っています。
まずは永続的に続けていくためにビジネスとしてしっかりとカフェを軌道にのせて、いずれは「フリーミール」を実現していきたいと思っています。地域の様々な世代の方達と、ながーい座卓を囲んで「いただきます」「美味しいね」と言いながらみんなで食卓を囲む場を提供出来たらいいなと。「おなかも心も満たせる場」を提供出来たら本当に嬉しいし、ワクワクします。
ーこれは妙蓮寺熱くなりそうですね!酒井さんからは、真の強さをとても感じます。ー
いえ、本当にそんなことないです!精神的に追い詰められたこともありますし、最近もある方から本気でダメ出しをして頂きましたから・・・でも、昔サーフィンやスケボーをやっていた事もあったから自分の「スタイル」を持っている人には強く惹かれます。
「スタイル」って言うと、ファッション的な意味合いになってしまうんですが、サーフィンやスケボーではその人の人生まで含めて「どんなライディング、生き方をしているか」ということなんです。普通のスポーツでは技の難しさや点数を競ったりしますが、サーフィンやスケボーでは技の難易度を競うより「自分がどんなライディングをしたいのか」という事の方が重要で「自分のスタイル」を持っている人がやっぱり一番カッコイイなと思うんです。そんな自分のスタイルを持って生きていけたらいいな、と思います。
ー他に心がけていることはありますか?ー
マイケルジャクソンの「マン イン ザ ミラー」の歌詞にもあるのですが、「自分が出来ることをまずは自分からやろう、自分から変えていこう」と思っています。「大きな事は出来なくても小さなこと、身近なことなら出来る」と思って、HUG.CAFEを立ち上げました。あとは、「やって失敗することのリスク」も大切ですが、それ以上に「やらないことのリスク」を考えて挑戦していきたいですね。
ーやらないことのリスク・・・そこにあえて挑戦するのはとても勇気がいりますよねー
そうですね。でも・・僕は人一倍臆病だと思います。ただ、一度どん底まで落ちているので、飛び込む勇気みたいなものはあるかもしれないです。
ー酒井さんにとって、「面白い」にトライすることは、とても大事にしていることなんですねー
そうですね。大きなことは出来ないかもしれないけど、自分が出来る範囲でワクワク出来るアイデアを、まずは自分でやってみることがビジネスになっていくと信じています。先日も、母めシスターズからのアイデアもあって、HUG(ハグ)をかけて「8月9日」を「ハグ祭」と称して「こども縁日」のお祭りをやりました。
シェアハウスのおばあちゃんの「純子おばあちゃん特製の手羽先」はとっても人気でしたし、ヨーヨーすくいとか、いつもお世話になっている農家さんの有機野菜の直売、美味しいポップコーンやビール・・盛りだくさんの1日で、お客様だけでなく僕も母めシスターズも、みんなで楽しみました!
浴衣でお越しになってくれた方も多くてとても日本の夏らしい懐かしい雰囲気のお祭りができましたし、同じ妙蓮寺にある「石堂書店」さんには紙芝居もやってもらい子供達も喜んでくれました。
ーワクワクするイベントですね!最後に、酒井さんにとって記念日とは?ー
みんなでカフェをオープン出来た大事な日です。そしてスタートラインに立てた日。おかげさまで地域の子育てママや主婦の方にはだいぶ浸透してきました。でも、もっと色んな世代の方にお越し頂きたいと思っています。そこは今後のひとつの課題なので様々なワークショップを行ったり、そういったイベントなども、横浜の会社さんなどとこのHUGカフェを使って一緒に出来たら面白いなと思います。来年の記念日に、どんな楽しい事が出来ているか、僕も楽しみです!
【HUG.CAFE】
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【YOKOHAMA ANNIVERSARY】
【企画・編集】
勇気をくれた、【ヘレンさんという生き方に出会った】記念日!
フレンドリーな笑顔が印象的な、横浜イチ居心地がいい飲食店を目指すオレンジグループ代表 福島さんに記念日取材してきました!
ー福島さんの記念日、教えてくださいー
はい、「ヘレンさんという生き方に出会った」記念日です。
ーどんな記念日なんでしょうかー
新しいことを始める勇気をくれた女性と出会った日なんです。当時IT関連のエンジニアとして大手のシステムを作ったり、リーダーとしてチームをまとめていました。仕事は面白かったしお給料面でもとても良くして頂きました。
でも、ふと一緒に働くメンバーを見たら・・幸せそうじゃなかった・・。僕だけだったんですよね、楽しかったのは。様々な要因があるにしても働くみんなが幸せじゃないってどうなんだろう・・て違和感があってスパっと退職しました。そして年齢的にも最後だと思い、ワーホリ制度を使ってオーストラリアに渡った、そんな人生に疑問を感じていた時に出会った方です。
ーヘレンさん、どんな方なんですか?ー
当時85歳だったと思いますが、オーストラリア在住時代、家を貸してくださった画家の女性です。家には何か惹かれる絵がたくさんあって。てっきり生涯画家なのかと思ったら、81歳から絵を描き始めたって言うんです。たった4年でしかもその年齢でここまで描いてしまい職業にまでしてしまうのかと。「ああ、人生自分で制限をかけてはいけない。やるぞと決めたらいつからでもいけるんだ」と感じたんですよね。
ーそれは勇気をもらいますね!でも・・どうして飲食の世界に・・?ー
でかく聞こえるかもしれないけども、どこでも通用する仕事を何かしておきたいなと思ってたからです。「衣食住」これはいつまでもなくならないだろうと思って。
というのも、オーストラリア在住時代、日本食レストランで働いていたんですが、向こうで伝わっている日本食に違和感がありました。例えば「お味噌汁」。僕達って、おかずやご飯と一緒に食べますよね。でも向こうでは「一品」として出てくるケースが多かった。コース料理感覚なのかな、飲まないと次の料理が出て来ないんですよ。それはそれで一つの形だと思うけど、日本食の楽しみ方ってもっと教えてあげられるなあと感じたことも飲食の世界に進もうと思ったきっかけだったかもしれない。
ーなるほど、そうすると将来は海外出店ですか?!ー
それも視野にはありますが、まずは「横浜」に根をはり誰もが知っている店へと成長させてみせます。やはり大好きな横浜が賑わってくれたら嬉しいですから!
ーそうなんですね、ところで未経験からどうやって独立したんでしょうかー
まず独立までの五カ年計画を立てました。最初の2年間はチェーン展開している会社で飲食の仕組みや基礎を学んで、次は個人店でより深く難しい仕込みや接客、料理全般という具合に。カッコよく言ってますけど(笑)結局独立までは6年位かかってしまいました。勤務は夜17時からが多かったですが、勤務時間前に仕込みをさせてもらったり、結構勤務時間外で多くのことを学びました。
ー福島さんは、常に意識していることがあるとかー
はい、僕は昔から意識しているのが「1万時間の法則」。なんか固いですけど(笑)努力を重ねれば、体が覚える。何かを身につけるには必要で、その先はブラッシュアップです。わかりやすく言うと・・例えば、ネギをみじん切りします。手元を見ないと怖いですよね。でも何度もやると体が覚えて、よそ見しても出来るようになる。あ!これ真似しちゃ絶対だめですよ!(笑)あくまでも、1万時間重ねてやっとスタートラインにたてると思うんですよね。
ーうーん!とてもストイックに見えますけど昔からですか?ー
いえ、大学時代の経験が大きいかもしれません。水泳部でキャプテンをしていたんですが自分たちは結構練習している気になっていて、若かったから変な自信もありました。でも、ある時、イアンソープ選手の練習を実際に見る機会に恵まれたんですね。ほんと、愕然としました。僕達の何倍の時間も練習しているんですよ!しかも、余年がない。細かいところまで丁寧に地道に練習を続けていた。だから彼は強い。僕達何やってたんだろうって愕然としました。
ーイアンソープ選手ですか!色々な経験をして、たった5年で2店舗も経営していますが、何に一番難しさを感じますか?ー
「人」を育てることが一番難しいと思います。飲食店は、当然お客様が美味しいと思ってくださる食材を使い、美味しい料理を提供し、気持ちの良い接客をすることは当たり前なんです。でも、いつまでもお客様の心に残る気づかいが出来て居心地がいい空間を提供出来るか。ここが要になると思う。それが「人」なんです。
ー福島さんの目指す、「人」の教育や在り方みたいなものは何かあるのでしょうかー
究極を言えば、リッツカールトンのクレド。あれってすごい。例えばエレベーターのボーイさんが乗り合わせたお客様の会話から「ちょっとあの料理しょっぱかったよね。もうちょっとな・・」なんて声が聞こえてきたとします。そうすると、彼らは自らの責任と判断で、「大変失礼しました。○○様に喜んで頂けるお料理を召し上がって頂きたいので、本日のディナーご招待させてください」なんて事をしてしまうわけです。これはあくまでも例えですが。
リッツカールトンのスタッフさんはみんな主体性があるから、お客様に想定外の感動を与えるんですよね。主体性があり、想定外の感動を与え、居心地がいい空間を作る、想い出に残る。これが出来る「人」を育成したい。
ークレドは様々な逸話を残していますよね。主体性がある「人」を育成する上で気にしていることはありますか?ー
口酸っぱくスタッフに「伝える」ことも必要ですが、僕自身が姿勢を見せることを気にしています。月並みですけど、日頃から経済や情勢など色々なことにアンテナを張って情報収集することかな。
ー確かに、福島さん、さっきから気になったことは携帯にメモしていますよね!ー
そうなんですよ、忘れちゃう(笑)面白い情報だと思ったらすぐにためる。飲食店は様々なお客様がいらっしゃるので、話の幅が広いってとても大事。好奇心旺盛なのが大事なのかな。それから健康管理。いるんですよ・・昨日飲みすぎて仕込み遅くなったから、このメニューなし!みたいな・・そんなのプロでもなんでもないでしょう。
ーなるほど。確かにとても健康的ですし、スーツでカッコイイ!でも話すとフレンドリーなギャップありますよね(笑)ー
もう10年くらいはこの風貌です(笑)見た目って絶対大事。僕のこの風貌一瞬、緊張する方もいるみたいだけど、いい意味でギャップあるみたいだからこの姿に行き着きました(笑)これも一つのブランディングだと思います。
ーブランディング!飲食店として、大事なことはほかにありますか?ー
飲食に限る話ではないと思いますが、これからは「コンテンツ力」だと思います。飲食だと・・そうですね、例えばお店のメニュー。一つでもいいんです、何かそのお店だけのほかとは違う「売り」言い換えるとコンテンツを持つことが一つの武器になると思う。コンテンツに育てるまでは、反対も批判もされるし儲からないし(笑)大変なんだけど、それを超えたら勝ち!
ーオレンジさんの「売り・コンテンツ」教えてくださいー
「海老と白身魚のムース」です。OPEN当初からありますが、オレンジと言えばこの料理じゃないかな。今では、ほかでも食べられるかもしれませんが当時珍しい料理だったんですよ。だから、この料理が食べたくてまた来る。という方が意外と多かった。パンケーキでも何でもそうですが、工夫をしない二番煎じでは、当たりもしないし受け入れてもらえない。だから一番をとるか、頭たくさん使って工夫をしなければならないんじゃないかな。
ーこれから、オレンジさんはどんなお店にしていきたいですか?ー
横浜イチの居心地がいい、また行きたいお店にしたいですね。でも、それだけではありません。この先 スタッフが独立をしたいと思ったときに、きちんと経営が出来るように支援することが一つ。それから飲食店の経営に悩んでいる人に、オレンジ流経営を教えてあげたい。飲食店の抱える問題って結構似ていますから。これはだいぶ先の夢ですが・・大丈夫ですか?この話長くなりますよ?(笑)
ーそうですね、深そうなお話なのでこれはまた別連載にしましょうか(笑)ー
ですね(笑)今、オレンジのスタッフはとても頑張っています。シェフは昔から僕についてきてくれていますが、料理の相談は彼にすれば間違いない。そう言い切れるくらいとても信頼し尊敬しています。スタッフが皆それぞれのポジションで主体性を持っているお店に出来れば「また来たい」とお客様に思って頂けるはずだと思います。
ーありがとうございました。色々お話頂きましたが、福島さんの思う飲食店の魅力教えてくださいー
うーん。お客様に様々な空間を提供できることが一番かも。「○○が食べたい」とか「誕生日だから」とか、様々な用途や目的があったお越しになる。だから使い方はそれぞれ違うんですよね。僕等はみなさんの時間と空間を、「飲食」を通じてプロデュース出来るのかもしれない。とっても素晴らしい仕事だと思います。
ー素敵ですね!イベントも積極的にやっていますよね!ー
イベントよくやりますよ!色んな人が集まって、同じ空間と時間を共有することで、新たな出会いとか繋がりが生まれるのっていいなと。これからは昼間は子供も楽しめるようなお祭りもやりたいし、今考えているオレンジ初のイベントは・・これはまだ言えない!でも秋のあの時期・・ヒントは餅つき(笑)地元のお祭りも含めて様々なイベントをやって人を集めて横浜を賑やかにしたいですね。
ー楽しそうですね!長時間、ありがとうございました!最後に、福島さんにとっての記念日とは?ー
間違いなく、彼女と出会っていなければ起業していません。何かしたいな~とフワっと思っていたけど、実現できたのは彼女の生き方を見たから。彼女の絵も笑顔も言葉も忘れることはできません。勇気をもらえた日ですね。まずは「オレンジ」をブランドとして育て上げ、様々な挑戦を続けていきたいですね。
【オレンジコンセプト・オレンジブランチ】
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【YOKOHAMA ANNIVERSARY】
【企画・編集】
事業も生活もすべてを180度変えた「エコロジー記念日」!
コーヒーやパンを楽しむだけじゃない?!実は設計事務所も兼ね添えた、リノベーションカフェをOPENしたばかりのecomo 代表 中堀健一さんに記念日取材しました♪
ー中堀さんの記念日教えてくださいー
「エコロジー記念日」です。
ーどんな記念日なんでしょうか?ー
約13年前になりますが「自然素材、エコロジーで行く!」と大きく会社の方向性を変える決断をした日です。あの時がなければ今の僕も、このリノベーションカフェもなかった。
ー今までは、エコロジーや自然素材は意識していなかったんですか?ー
全く考えていませんでした。ジャンキーな生活でしたから。28歳で独立して設計事務所を作りましたが、特に環境とか体への影響って考えてなかったんですね。
ー180度変えるって相当な覚悟ですよね。何があったんでしょう?ー
約13年前にラーメン三昧、不摂生の積み重ねで若年性肺気腫になったんですね。「なんでなってしまったんだろう」って自分のジャンキーな生活の先を突き詰めていったら、「大気汚染」に行き着いた。僕は家を建てる仕事をしているけども、環境には優しくない資材を使っていた。これでいいのかと。それで、ある日社員を集めて「今日から自然素材でいく」「エコロジーでいくぞ!」と180度方向性を変えました。
ーえっ、突然の告知ですか?!ー
そうです。僕極端なところがあるので、それまで使っていた資材が7割あったので、使わなくなったことで売り上げが3割以上ダウンしました。それから自分の生活も極端に変えました。食事は1年間、肉と魚は口にせず野菜中心。でもさすがに力出なくなっちゃって。肉と魚は解禁したけど、今でも無添加で魚と野菜中心の生活です。
その頃からですね、僕がやっている仕事は建築や設計という単純なくくりではなく、行き着く先は「衣食住」ではないかなと。それであれば、まずはやっちゃおうと思ったんです。それが藤沢にある2008年にOPENしたecomoです。
ecomoは、無添加で体に優しい食材や雑貨類のショップ、レストラン、ヨガや粘土教室などのカルチャースクール、そしてモデルルームも兼ね添えた、「衣食住」の提案を体系化したひとつの施設です。
ーecomoに並んでいる野菜や、出店されているお店って神奈川のお店が多い気がするんですが・・・ー
そのとおりです。なるべく地元の頑張ってる人と一緒に作り上げたいって気持ちがあって、神奈川の頑張っている農家さんやお店さんに声をかけました。
ー地域のお店や企業と組むことで、何か面白い変化はあったんでしょうかー
ありましたよ!地域活性化に繋がるんです。例えばOPEN当時、藤沢で無農薬野菜を作っている農家は3件くらいしかなかった。それがecomoにあるレストランで野菜を使うようになったり、販売をすることで名前も知ってもらえますし、何よりも「美味しい」とか「無農薬野菜いいらしい」て口コミが広がる。
そうすると、面白いことに繋がりが繋がりを呼んで、積極的に無農薬野菜を育ててくださる方が増えて、気づけば無農薬農家は市内では100を超えているんじゃないでしょうか。ecomoという場所があることで、地域の方やお仕事が活性化することにも繋がるし、いい連鎖が生まれました。
ー地域の人が集まって仕事も活性化して、すごい反応ですね! ところで、7月に横浜元町にecomoベーカリーをOPENされましたが、どんなお店なんでしょうー
一言で言うと、リノベーションカフェです。
ーリノベーションカフェ?パン屋さん&カフェじゃないんですか?!ー
もちろん、どんな方も利用出来るパン屋でありカフェですが、実は・・それだけじゃない(笑)見えますか?奥にガラス扉があるでしょう?あそこ、お客様との打ち合わせする設計事務所なんですよ。
ーそうだったんですか!吸い込まれそうな壁ですが、ここの設計は中堀さん自身でされたとかー
そうです。中古マンションのリノベーション専門なので「木・石・鉄の融合」をテーマに設計し、「リノベーション」を体感出来る空間を意識しました。壁はレッドシダー材という同じ木なのに表情がコロコロ変わる非常に面白い材木を組み合わせ、床や壁は石やレンガ、そして天井はコンクリむき出しにしています。さりげなく棚や机などに鉄を使っているんですよ。あえて難しい素材の組み合わせや技術を駆使して空間を作ったので、言い換えるなら「ショールーム型カフェ」ですね。
ー面白い!でもなぜ中古マンションのリノベーションなんでしょうか?ー
ecomoは事業がいくつかありますが、ここ横浜元町の事務所は、国内でも数少ない「中古マンションの、自然素材を使ったリノベーション専門事務所」です。マンションをリノベーションする際、体にいい素材で尚且カッコよく作りたいという相談を受けることが、特に震災以降は増えました。そこで僕も大好きな街横浜で、新たな挑戦を決めました。
ーそうだったんですね! ecomoの作る家、リノベーションする空間は何かストーリーや想いを感じますー
ありがとうございます。お客様によって人生で一番大事にしているものや、テーマ、こだわり色々ありますよね。そういった想いを汲んで【住まい】という空間を通して体系化するのが設計士の仕事であり、醍醐味だと思う。
家族での団欒や、お友達や親戚と楽しむ空間、または仕事や一人での空間など、楽しんで頂けるその人だけの空間を提案していきたいですね。もちろん自然素材で!(笑)
ー家作りは一大イベントですものね!体にも優しく、尚且提案をくださるのは心強い。しかも、美味しいコーヒーを頂きながら打ち合わせが出来るなんて、最高です(笑)それにしても・・ecomoさん、パンもコーヒーもかなりこだわっていますよね?ー
そうですか?(笑)藤沢ecomoの経験があったので、せっかくですから人が集まる空間にしたいじゃないですか。本当に体に優しくて美味しいもの知っていただきたいじゃないですか。なので、パンはすべて国産の素材を使っています。
ーコーヒー豆を使ったパンや、サバのパン、色々変わったパンも置いていますが、これらのメニューもすべて中堀さんが考えるんですか?ー
まさか!僕は設計士ですから、それは出来ない(笑)。「無添加で体に本当にいいもの、優しいもの、お客様が喜んでくれるもの」というルールを守っていれば、スタッフのみんなの感性や発想に任せています。だから僕も来るたびに面白い発見があって楽しい!そうですね、僕のお勧めは・・この豆乳シュークリームなんて、珍しいし甘さ控えめで絶品ですよ
コーヒーは小田原のアメイズコーヒーのオーナーに指導して頂いています。知識や経験も深いですし何よりもコーヒー愛がすごい方なので、彼に指導をお願いしたかった。こんなこと言うのもあれですけど、実は僕、コーヒー苦手で飲めない。でも唯一アメイズコーヒーは美味しく飲めるんです。
それこそスタッフは週1回小田原まで通い、家でも練習し、オーナー様も時々お店に来ていただいて最高に美味しい一杯の淹れ方を直伝して頂いているので、とても香り高いコーヒーを楽しめますよ。ほら、ちゃんと淹れる時間もタイマーで測ってるでしょ?
ー見てるだけで楽しいですね!なんだかこの空間だけでたくさんの発見があります。中堀さんの目指す、これからの夢教えてくださいー
たいしたことは言えないけど・・まずはecomoブランドを広めていきたいですね。僕たちが展開していくだけでなく、ノウハウを興味がある方に直伝して各地で、ecomoというひとつのライフスタイルが広まったら面白いな。それから、ある程度ecomoが確立されたら、今度はもっと地元の農家の方や様々なお仕事の方を活性化する何かをしたい。僕達ができるのは、日々やっている素晴らしい仕事を披露出来る空間を作ったり、ほかにも色々あるかもしれない。それはまだわからないけど、色んな分野のビジネスで頑張る方と繋がって、一緒にビジネスを通して地域や仕事を活性化させたいですね。
ーありがとうございました、最後に中堀さんにとっての記念日とは?ー
13年前、体を壊さなければecomoも今の自分もなく、間違いなく僕を変えた大事な記念日です。ターニングポイントというのかな。あの時を堺に、事業も生活も180度変えましたが、病気も進行が止まって「間違ってなかったんだ」と思う。これがすべてではないし正しいっていうわけではないけど、だからこそ一つのライフスタイルとしてecomoの活動を通じて提案していきたい。そして何よりも今色んな方と仕事を通して繋がって色んなことが出来て最高に楽しい!だからこの日を忘れずに、今年は拡大する年と決めていますからどんどん挑戦していきたいですね。
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【ecomoベーカリーカフェ 横浜元町店】
【一級建築士事務所ecomo】
http://www.ecomo-life.com/ecomogo/
【アメイズコーヒー】
http://amazecoffee.web.fc2.com/
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【YOKOHAMA anniversary FB】
【企画・編集】